
三国時代
慶州仁旺洞寺址
慶尚北道慶州市仁旺洞
地図で見る場所紹介
慶州仁旺洞寺址は仁容寺の跡と推定される。三国遺事に登場する仁容寺は太宗武烈王の次男・金仁問(629~694)の安寧を祈る寺である。高句麗滅亡後、唐は新羅まで征服しようとして唐に滞在中の金仁問を投獄した。新羅人は彼の帰国を願って観音道場を開いたが、孝昭王3年(694)に金仁問が帰国途中に死去したため、その極楽往生を祈り弥陀道場に改めた。仁容寺は新羅で僧侶や王ではなく個人のために建てられた最初の寺として当時の信仰形態を示す。2002年から2011年にかけての4次発掘調査では双塔式伽藍配置が確認され、稀な亞字形建物址をはじめ、塔址・金堂址・講堂址・廻廊址・連池・井戸などが確認された。