
朝鮮王朝
成三問先生遺墟地
忠清南道洪城郡洪北邑梅竹軒길403-12
地図で見る場所紹介
ここは成三問(ソン・サムムン)の外祖父・朴膽(パク・ダム)の古宅があった場所であり、成三問が生まれた所として知られている。1676年(粛宗2年)、舎人の李湸(イ・リャン)と儒生たちが、成三問など死六臣の節義と徳を追慕するため、成三問の生誕地に祠宇を建立した。1685年(粛宗11年)には朴彭年(パク・ペンニョン)、李塏(イ・ゲ)、柳誠源(ユ・ソンウォン)、河緯地(ハ・ウィジ)、兪応孚(ユ・ウンブ)を追加で配享した。1692年(粛宗18年)、朝廷は緑雲書院(ノグンソウォン)と名づけて賜額したが、1712年(粛宗38年)に魯恩書院(ノウンソウォン)と改称した。「魯恩」は、閔鎮厚(ミン・ジヌ、仁顕王后の兄)と宋時烈(ソン・シヨル)が、魯山(ノサン)の「魯」の字と恩義の「恩」の字を取って村の名を魯恩としたことに由来する。1687年(粛宗13年)、魯恩書院の隣には別祠を建立し、成勝(ソン・スン、三問の父)の位牌を奉安した。その後、1784年(正祖8年)に成勝は別雲剣(ピョルウンゴム)として端宗復位運動に参加した点が認められて伸冤され、祭享された。しかし魯恩書院は1864年(高宗1年)、大院君の書院撤廃の際に取り壊された。当時、儒生たちは死六臣の位牌を埋安した後、その上に壇を築いて「魯恩壇(ノウンダン)」とし、毎年陰暦10月15日に祭享を行った。1945年、光復を迎えると、洪城古跡顕彰会が祠を改築し浄化した。遺墟碑は魯恩壇から南へ30mの距離の村の前にある。碑文は宋時烈が撰し、字は金鎮商(キム・ジンサン)が書き、篆額は兪拓基(ユ・チョッキ)が書いた。