
朝鮮王朝
扶余磻橋村
忠清南道扶余郡外山面磻橋洞路9-8
地図で見る場所紹介
磻橋村はアミ山(蛾眉山)の東の山裾に位置し、村前には磻橋川が流れる。広い板を使った橋を使っていたことから「판교(板橋)」と呼ばれていたのが、今の「반교(磻橋)」という地名に落ち着いた。磻橋村は羅州鄭氏が定着して形成した村で、郷村の情緒と美しさをよく守っている。昔は村に梨の木が多く「梨の木谷」とも呼ばれ、アミ山の石がごろごろ転がっていることから「도팍골」とも呼ばれた。村全体が石塀で長くつながれており、国家登録文化財に指定された「扶余磻橋村の古い石塀」は忠清地域を代表する石塀文化財である。この石塀はアミ山の自然石(粗削り石)を使って積み上げ、下部は約90㎝と幅広く、上に行くほどわずかに狭くなる安定感のある形をしている。山からの風を防ぐための防風塀のため、他の村より高い。村内には자연부여유스호스텔と、魚泓俊元文化財庁長が滞在するという休休堂がある。周辺にはアミ山のほか、スリバウィ、万寿山、無量寺などがある。