
南北国時代(統一新羅・渤海)사찰
貴信寺(金堤)
全羅北道金堤市金山面青道6길40
地図で見る場所紹介
金山面青島里にある大韓仏教曹渓宗第17教区本寺・金山寺の末寺である。帰信寺(クィシンサ)は676年(文武王16年)に義湘大師が建てたと知られているが、百済・法王の時に王室の内願寺として初めて建てられたという主張もある。創建当時の名称は国信寺であったという。その後、統一新羅末期に道允が再建したのち帰信寺と改称した。高麗時代には円明国師(1090~1141)が再建したが、この頃には狗蜃寺と呼ばれた。その後も何度か部分的な修理と大々的な再建を経て、1934年には大寂光殿などを修理したのち、再び帰信寺に名称を変えた。帰信寺はもともと金山寺を従えるほど規模の大きい寺で、高麗末には攻め込んできた倭寇300余名が駐屯したほどであったというが、今は衰退して小さくつつましい寺として残っている。帰信寺の主要な文化財としては、宝物の大寂光殿と三層石塔、浮屠、石獣などがある。三層石塔は帰信寺の創建とともに造成されたものと推定され、新羅時代の美を表す秀でた作品である。浮屠は青道院村の入口の田の中にあり、全盛期にはこの浮屠がある所までが寺の境内であったことがわかる。帰信寺の石獣は独特な様式で、座っている石獣の背中の中ほどに男根のような石柱が堂々と挿さっている。仏教思想と男根崇拝思想が入り混じった特異な形態の石造物で、地を鎮めるために建てたという説と、百済王室が福を祈願する意味で建てたという説がある。