
日本統治時代
趙海瑩家屋
全羅北道益山市咸羅面壽洞길 8
地図で見る場所紹介
趙海英家屋は、益山の金炳純古宅、李培源家屋とともに「咸羅村の三富豪の家」と呼ばれる。他の富豪の家とは異なり、趙海英の先祖たちは古くから咸羅村に居を定めて暮らしてきた。趙氏一門の基礎を築いた人物は趙海英の高祖父である趙漢基で、高宗の時に泗川郡守と井邑郡守を歴任した。その後、趙海英の父である趙容奎が莫大な経済力を基盤に1918年に趙海英家屋を建てた。趙容奎は1923年、咸羅村の他の富豪たちのように大規模な農場を設立し、大陸護謨工業の株式500株を所有して大株主として企業運営に関与することもあった。趙海英家屋は本来多くの建物があったが、現在は舎廊棟・母屋と別棟の新房棟・行廊棟・農場舎廊棟・門間棟からなっており、日本統治時代の富農の家の生活ぶりを示しており、韓屋の変化過程とともに外来文化の流入をうかがい知ることのできる文化遺跡である。