アプリでまとめてアプリを入手
K-Story TrailK-Story Trail
歴史探訪
黄嶺寺(尚州)
朝鮮王朝

黄嶺寺(尚州)

慶尚北道尚州市銀尺面城主路225

地図で見る

場所紹介

大韓仏教曹渓宗第8教区本寺である直指寺の末寺で、七峰山のふもとに位置する黄嶺寺は、寺の創建や沿革についていつ誰が創建したのか知ることができない。ただ、新羅時代の638年(善徳王7年)に義湘が創建し、889年(真聖王3年)に大丘和尚が再建したと伝えられる。高麗時代には1254年(高宗41年)にモンゴルの将軍チャラダイが尚州城(白華山城)を侵攻すると、黄嶺寺の僧侶洪之が官民兵を率いて出て、敵の四番目の将帥を射殺し、敵兵の死傷者が半数以上になると、敵が包囲を解いて退いたという記録が『三国史記』にあることだけでも、この寺が高麗の時に存在した寺院であることが分かる。また、1592年に壬辰倭乱が勃発すると、黄嶺寺が咸昌を中心に蜂起した倡義陣義兵の発祥地として知られるなど、護国の道場としてその精神を受け継いできた場所である。壬辰倭乱の時、兵火で大雄殿、千仏殿、羅漢殿、新金堂などの建物が焼失した。その後1901年に改修され、1928年に道虚によって改修されたが、1962年に焼失した。現在の新金堂は1966年に住職の李相浩によって再建されたもので、大雄殿は1976年と1980年にわたって瓦の補修と丹青を行った。これは高麗以来、国土守護の護国寺院としての高い精神を受け継いできたことを反映するものである。仏像は大勢至像があり、石造物としては寺の入口にある碧虚堂浮屠は、近くの池のそばにあったものを今の場所に移して置いたものだという。大雄殿は正面3間、側面2間の八作屋根の建物で、中には釈迦三尊仏像を祀っている。慶尚北道有形文化遺産に指定された黄嶺寺阿弥陀後仏幀と神衆幀は、現在直指寺聖宝博物館で保管中である。この幀画は朝鮮後期の京畿道画派である尚謙派が慶北地域に及ぼした影響を研究してみることができる貴重な資料で、18世紀の黄嶺寺の寺勢を推し量る上で意義がある。