
朝鮮王朝
金起叙講学堂
全羅北道高敞郡高水面司洞길40-160
地図で見る場所紹介
朝山貯水池へ向かう道沿いの祝嶺山の裾野に続く村に位置する朝鮮前期の講学堂で、金起叙講学堂は光山金氏の祠堂・魯山祠の中にある。金起叙は光山人で、字は時見、号は敦睦齋である。成均館の直講として通政大夫にまで昇った梅山金錫元の甥で、孝行に篤く1508年に中宗から光陵参奉に除授され褒奨も受けたという。その後、趙光祖の門下に入り、義兄の梁彭孫などと講論するうちに1519年(中宗14年)の己卯士禍に連座して趙光祖と新進士類が大挙粛清されると、常坪里に隠居して引きこもった。趙光祖の学問に傾倒し、後進育成に専念しようと金起叙講学堂を建てた。この場所にはもともと剪払寺の仏堂があった。1548年(明宗3年)に建立されたものと推定され、建物の規模は正面5間・側面2間の単層八作瓦屋根で、内部は中堂2間・左脇室2間・右脇室1間からなり、朝鮮初期の素朴な公庁建物である。光山金氏宗中が管理している。