
近代(開港・大韓帝国)
慕德祠
忠清南道青陽郡木面那分洞길 12
地図で見る場所紹介
朝鮮後期の愛国志士・勉菴・崔益鉉先生の影幀を祀った祠堂で、慕徳祠の扁額の字は、高宗皇帝が下賜した文の中の「勉菴の徳を慕う」という句節から「慕」の字と「徳」の字を取ったものである。崔益鉉先生は李恒老の弟子で、文学と道学に造詣が深く、1855年に文科に及第し、官職は司憲府掌令にまで昇った。しかし国を憂い、大院君の政策を批判する上疏文を幾度も上げ、黒山島に流刑されもした。また1905年に乙巳条約が締結されると、乙巳条約を処断することを主張し、同年、日本の罪状を16項目に記して抗争し、全羅北道泰仁で義兵を募集して日本軍と戦った。しかし日本憲兵隊に逮捕されて対馬に流刑され、敵軍が与える食べ物を口にできないと断食し、ついに殉国した。後に彼を追慕する士林たちが泰仁、抱川、谷城など各地に彼の祠堂を建てた。ここ慕徳祠は、先生が住んだ古宅と蔵書閣、先生の遺物を展示する展示館が併せて建っている。