
朝鮮王朝
保寧城郭・保寧官衙門
忠清南道 保寧市 주포면 보령읍성길 80-12
地図で見る場所紹介
保寧城郭の城は、敵軍の侵入を防ぐために土や石で高く積み上げた大きな塀である。この城は、高麗末に倭寇の侵入に備えて築いた烽堂城(あるいは古南山城)があった場所から東へ約400m離れた位置に、1430年(世宗12年)にすでにあった城を補強して築いたものである。城の築造方法は、内外両面を石で積み上げ、南門跡の左右を除いた残りの城壁は外側のみを石で積み上げた。城の規模は周囲約630m、高さ3.5mで、城には敵台(城壁に取りついた敵を側面から攻撃する所)8か所、南・北・東門の3か所、井戸3か所などがあった。1432年には済民堂・公衙・兵器庫など約140間規模の建物を建てたという。しかし壬辰倭乱や韓末の義兵戦争などを経て破損し、南門である海山楼の脇の城壁約70mと北側の城壁約360mのみが保存されている。保寧官衙門は、朝鮮時代に保寧県の外郭に築いた保寧邑城の南門の門楼建物で、世宗13年(1431)に県監の朴孝誠が建てたと伝えられる。正面3間・側面2間の規模で、屋根の側面が八の字形をした華麗な入母屋造りである。1階は両側の柱を城壁の上にまたがせて立て、城郭の一般的な門楼のように中央の1間のみを通行できるようになっている。柱と同様に長い礎石の上に円柱を立て、2階は楼閣を設けて簡単な欄干を四方に巡らせた。建物の正面には「海山楼(海山樓)」という扁額が掛けられており、中宗(在位1506~1544)の時に領議政を務めた李山海の直筆といわれる。