高麗
上耳庵(任実)
全北特別自治道任実郡聖壽面聖壽山路658
地図で見る場所紹介
聖寿山(ソンスサン)に位置する上耳庵(サンイアム)は、新羅・憲康王元年(875)に道詵国師が創建したといい、最初は道詵庵と呼ばれたという。その後、太祖3年(1394)に覚如禅師が増修したが、1894年の東学革命の際に兵火に遭い、再び1909年に金大建(キム・デゴン)が再建した。日本統治時代には義兵長・李錫庸(イ・ソギョン)が上耳庵を拠点として抗日運動を展開したが、その余波で寺は日本軍隊によって焼き払われた。1912年に大円(テウォン)僧が再建したが、1950年の韓国戦争当時に焼失した。1958年、任実郡守・梁昌鉉(ヤン・チャンヒョン)が中心となった上耳庵再建委員たちが、空き地に法堂と僧房を建てた。『聖寿山上耳庵事績記』によれば、894年に高麗・太祖の王建が17歳の年に道詵国師とともにこの地で100日の祈祷をささげ、さらに3日を加えて祈祷をあげたという伝説と、朝鮮・太祖の李成桂が荒山大捷(1380)を勝利で飾って凱旋する途中にこの地に立ち寄り、3日間、真心を込めて祈願したところ、天神が降りてきて「聖寿万歳」を三度叫んだという伝説が伝わっている。その後、朝鮮・太祖が道詵庵を上耳庵と改めて呼んだという。境内には、高麗・太祖が書いたという「歓喜潭」の碑石と、太祖・李成桂が書いたという「三清洞」の碑石があり、慧月堂の浮屠と杜谷堂の浮屠が、それぞれ国家遺産資料第124号と有形国家遺産第150号に指定・管理されている。(出典:任実郡文化観光)