
朝鮮王朝
原州邊氏 簡齋宗宅および簡齋亭
慶尚北道 安東市 서후면 풍산태사로 2720-30
地図で見る場所紹介
朝鮮中期の学者である簡齋(簡齋)・辺中一(邊中一、1575~1660)の宗宅と亭子である。宗宅の建立時期はわからないが、戊午士禍(戊午士禍、1498)直後に辺希乂(邊希乂)、辺希李(邊希李)の兄弟が金渓に入郷したことから、それ以降であろうと推定される。この宗宅と亭子は19世紀前後の時期の建築様式が主流をなしており、宗家の品位と規模をよく備えている。特に、山あいに正寝および別堂、祠堂、亭子が上から自然地形に順応しながら、それぞれ機能に適した場所に位置しており、士大夫家の空間領域を備えた稀な事例に該当する。辺中一は幼い頃から孝行に優れており、壬辰倭乱の際には郭再祐の麾下で従事するなど、国難克服に力を注いだ。これにより1686年(粛宗12年)に国から特別に旌忠孝閣(旌忠孝閣)が下賜された。一人が忠と孝を兼備して旌閭を受けたのは、非常に特別な場合である。(出典:国家遺産庁)