
南北国時代(統一新羅・渤海)
慶州 骨窟庵 磨崖如来坐像
慶尚北道慶州市陽北面祇林路101-5
地図で見る場所紹介
骨窟庵(コルグラム)の高い岩壁にある自然の窟を利用して造った12の石窟のうち、最も上の部分にある磨崖如来坐像である。朝鮮時代の謙斎・鄭敾(チョン・ソン)が描いた「骨窟石窟」には木造の前室が描かれていたが、今は岩に痕跡だけが残っている。剃髪(民頭)の上には髷のような形の頭(肉髻)が高く突き出ており、輪郭のはっきりした顔は、細くなった目、小さな口、狭く長い鼻などの表現に、以前より形式化が進んだ姿を見て取ることができる。立体感の際立つ顔に比べ、平面的な身体は肩がほぼ水平をなして広く表現されており、首と胸の上の部分は損傷している。衣の皺は規則的な平行線が主流をなしており、脇の間には腕と体の起伏を示すV字形の文様がある。岩壁にそのまま刻んだ光背は、蓮の花の文様が刻まれた頭光と、仏像の周囲の律動的な炎の文様を通して痕跡をうかがうことができる。平面的な身体と、薄くこねたような階段状の衣の皺、脇の間のU字形の衣の皺などが、867年に造成された奉化・鷲棲寺石造毘盧遮那仏坐像および木造光背と類似した作品で、統一新羅後期に造成されたものと推定される。