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歴史探訪
清渓書院(扶安)
朝鮮王朝사찰

清渓書院(扶安)

全北特別自治道扶安郡上西面旧清登街49

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場所紹介

扶安郡上西面甘橋里にある清渓書院は、朝鮮後期に建立された書院である。1707年(粛宗33)に創建されたが、1865年(高宗2)に興宣大院君の全国書院撤廃令によって毀撤され、「清渓祠址」という遺跡碑だけが残っていたが、2009年にその子孫たちが復元した。清渓書院は道峰・宋世貞、石湖・李承幹、忠烈公・羅徳憲の三人を配享した所である。外三門と祠堂で構成されている。「清渓書院」の扁額が掛けられた外三門を過ぎると、「清渓祠」という扁額が掛けられた祠宇が一棟現れる。祠宇は正面3間・側面2間の切妻屋根の建物である。道峰・宋世貞は1470年(成宗1)に扶安の翁中で生まれ、1497年(燕山3)に司馬試に合格した。孝行が篤く、1543年(中宗38)に旌閭が下され、扶安邑蓮谷里の旌門に「百源門」という孝子門が建てられた。石湖・李承幹は1483年(成宗14)に扶安邑石堤で生まれ、孝子として名が知られて旌閭が下され、『三綱録』に収録された。遺逸として推挙され、繕工監直長に除授されたが赴かなかった。忠烈公・羅徳憲は羅州の出身で、進士・羅士忱の子である。1602年(宣祖35)に武科に及第し、1609年(光海1)に扶安県監として赴任して善政を敷き、清渓書院に配享された。その後、吉州牧使、三道統制使などを歴任した。吉州牧使であった時に李适の乱を平定し、振武原従功臣1等に封じられた。