
三国時代
扶余陵安谷古墳群
忠清南道扶余郡扶余邑陵山里
地図で見る場所紹介
扶餘陵安谷(プヨ・ヌンアンゴル)古墳群は、百済の陵山里の墓の東側にある百済羅城(史跡第58号)や青馬山城(史跡第34号)とともにある百済の墓である。1995~1996年にかけて調査され、横穴式石室墓30数基、石槨墓20数基、甕棺墓4基などが発見された。単葬墓や合葬墓、幼児の墓など多様な形態で埋葬されており、紬・紗などの布地や金の耳飾り、銀製の冠飾り、腰佩飾り(腰帯装飾)など多くの遺物が出土した。墓の形式と出土した遺物から6~7世紀頃の百済貴族層の墓と推定され、百済後期の墓の形式と衣服の研究に重要な資料を提供している。