
三国時代
慶州孝昭王陵
慶尚北道慶州市朝陽洞
地図で見る場所紹介
新羅第32代孝昭王(在位692~702)の墓である。神文王(在位681~692)の長男で6歳の幼齢で即位し、母の神穆太后が8年間摂政した。孝昭王の在位期間に官制を整備し医療教育機関の医学を設置した。高句麗旧領を奪回するため多くの城を築き、王都で物品流通を活発化するため市場を開いた。孝昭王の死後は望徳寺の東側で葬礼を行ったとされる。この陵は市街地東南の兄弟峰の南西山裾にある。東100m余りの地点には弟の聖徳王の陵がある。高さ4.3m、直径10.3mの円形封土墳で、下部の外周には自然石を用いた護石を廻らせたが現在は僅かしか残っていない。墓には何の装飾もなく、霊魂が宿る場所とされる魂遊石のみある。