
朝鮮王朝
杏溪書院
慶尚北道 奉化郡 물야면 상황산길 6-62
地図で見る場所紹介
杏溪書院は、金鋼が学問を修めた杏溪書社の跡地に、1785年に杏溪書院として昇格した所である。1804年(純祖4年)に地方儒林の公議によって金鋼と金弘済の学問と徳行を追慕するために創建して位牌を祀り、先賢配享と地方教育の一翼を担ってきたが、1868年の書院撤廃令によって廃された。その後1925年に復元され、境内の建物としては3間の慕賢祠、6間の明倫堂、神門、廚舍などがある。祠宇である慕賢祠の中央には金鋼と金弘済の位牌が奉安されている。講堂である明倫堂は中央の板の間と両側の夾室からなり、院内の諸行事や儒林の会合および学問講論の場として使われている。