
日本統治時代
張鉉植古宅
全羅北道全州市完山区郷校길 119-6(校洞)
地図で見る場所紹介
張鉉植先生は全北・金堤で万石の富豪の息子として生まれ、抗日独立運動を財政的に支援した独立運動家で、1942年の朝鮮語学会事件で獄苦を経ることもあり、解放後には第2代全北道知事(1949.8.17〜12.14)を歴任した。張鉉植古宅は、かつて旅館やホテルがなかった朝鮮時代に、南原・湖音室の朴氏の家とともに、旅行客が気兼ねなく旅装を解いて休んでいく万石の富豪の家であった。ほぼ三日ごとに牛一頭を屠って客人のもてなしに努め、彼らの間で「路銀が尽きたら西道の張氏の家に行く」という言葉が流行するほどであったという。張鉉植古宅は母屋・舎廊棟など4棟を伝統方式で建てたが、近代韓屋の変化を見ることのできる意味深い建築物である。木材加工の水準が非常に精巧で、伝統韓屋として建築的な価値が極めて高いと評価されている。