
近代(開港・大韓帝国)
長鬐斥和碑と近民堂
慶尚北道浦項市南区長鬐面邑内길 99
地図で見る場所紹介
斥和碑とは、丙寅洋擾と辛未洋擾を勝利に導いた興宣大院君が、西洋人を排斥し彼らの侵略をより強く国民に警告するために、ソウルおよび全国の主要道路沿いに建てさせた碑で、長鬐斥和碑もその一つである。碑は真っ直ぐな四角い台石の上に碑身を立てた姿で、碑身の四隅と上辺の両端をきちんと削り整えてある。前面には碑文が刻まれており、内容には「西洋の夷狄が侵入するのに戦わなければ和睦するほかなく、和睦を主張すれば国を売ることになる」という強い口調の警告が記されている。高宗8年(1871)の辛未洋擾以後、同年に一斉に建てられたもので、高宗19年(1882)に壬午軍乱が起こり大院君がロシア公使館へ拉致されると、大部分の斥和碑は撤去され、このように数基の碑だけが各地に残って昔の歴史の一部をそのまま伝えている。もともとは長鬐邑城の中にあったが、1990年に長鬐邑事務所の庭園へ移して保存している。勤民堂は長鬐県の官衙・東軒の建物で、県監が公事を処理する場所である。老朽化したため長鬐邑城から1922年に移築して長鬐面事務所として利用し、その後1960年に現在の位置へ移築した。現在は長鬐面事務所の別館として利用している。