
朝鮮王朝
温陽郷校
忠清南道牙山市外岩路1414-11
地図で見る場所紹介
温陽郷校は法谷洞にあったが、壬辰倭乱の際に焼失し、その後、光海君2年(1610)に現在の場所に移して建てた。全体的な構造は前学後廟の典型的な形態で、前方には教育空間を、後方には祭祀空間を置いた。入口には下馬碑、紅箭門があり、外三門を過ぎると正面に教育空間である明倫堂と寄宿舎である東斎がある。明倫堂の後方の内三門を過ぎると、正面に祭祀空間である大成殿がある。大成殿は正面3間、側面2間規模で、屋根は側面から見ると「人」の字形に似た切妻屋根である。屋根の軒を支えるために装飾して作った組物は、鳥の翼の形に装飾した翼工様式で仕上げた。明倫堂は正面5間、側面2間の規模で、屋根は側面から見ると「八」の字形の華麗な入母屋屋根である。甲午改革以後、郷校の教育機能はなくなり、春・秋に祭祀を行い、朔日と望日に焼香をしている。