
朝鮮王朝
定慧寺(青陽)
忠清南道青陽郡長坪面上地길 165-10
地図で見る場所紹介
七甲山の南麓に位置する寺で、新羅文聖王3年(841)に慧照国師が建てたと伝えられる。その後、517年頃に堂宇がすべて焼失し、三尊仏像だけが災いを免れた。16年後、麻谷寺の印明禅師が再建し、幾度も補修・重建した。1907年の大火で焼失したが、1908年に月坡和尚が再建した。現在、寺の中には三尊仏像を安置する大雄殿と山神閣、石窟庵、中庵、西庵などの庵がある。定慧寺の扁額は、三・一運動の33人の一人である呉世昌先生が自ら書いたものである。この定慧寺は大寺院で、所属する庵も多かったと推定される。今も慧林庵、石窟庵、西殿庵などが残っている。大雄殿は自然石で積んだ基壇の上に自然石で礎石を置き、角柱を立てた。正面5間、側面1間の入母屋屋根の建物で、前後に庇の間がある。中央の3間は後方の庇の間まで部屋を広げて仏殿として使い、東側の部屋は僧房、西側の1間は台所である。仏殿と僧房の前には濡れ縁を敷いた。大雄殿の中には木造の釈迦如来仏坐像・阿弥陀如来仏坐像・薬師如来仏坐像の三尊仏が奉安されており、朝鮮時代に造成されたものとみられる。