
朝鮮王朝
三世五忠烈祠
全羅北道益山市龍安面縣内路468
地図で見る場所紹介
三世五忠烈祠は1982年8月30日に全羅北道記念物に指定された。3代にわたって国のために殉節した海州呉氏(ヘジュオ氏)の五忠臣の遺蹟が集まる場所である。元々は呉應鼎と息子の稶・稷、そして稷の息子邦彦を配享して四忠祠と称したが、近年に呉應鼎の息子東亮を追享して五忠烈祠と称している。呉應鼎(1548〜1597)は全羅道龍安縣出身で1574年武科及第後各官職で治績を積んだ。丁酉再乱では全羅道右防禦使となり息子の稶・東亮とともに南原城戦闘に参戦したが中過不及のため火薬の山中で三父子が壮烈に殉節した。呉稷(1574〜1619)は光海君の時、都元帥姜弘立の幕下で遼東深河戦闘に出征し姜弘立が後金軍に降伏すると義憤して富車で戦い全身に矢を受けて戦死した。息子の邦彦(1588〜1637)は丙子胡乱の際に南漢山城で戦い仁祖が三田渡の屈辱を受けると南漢江に投身自殺した。