
南北国時代(統一新羅・渤海)
慶州神文王陵
慶尚北道慶州市拜盤洞
地図で見る場所紹介
新羅第31代神文王(在位681〜692)の墓である。神文王は文武王の息子で、父王の意志を受け継ぎ、旧百済と高句麗の民を融合することに力を注いだ。国立教育機関である国学を設立し、貴族の基盤となっていた禄邑を廃止して官僚田を支給した。地方統治のために全国を九つの州に分け、重要な拠点五か所に小京を設置した。神文王が亡くなった後は狼山の東で葬儀を行ったという。この陵は狼山南端にある。墓は高さ7.6m、直径29.3mの円形封土墓である。墓の縁の周りの護石はレンガ状に整えられ5段に積まれ、その上に蓋石が置かれている。外側には台形状の石材を立てて支えている。真南に配された支え石の上部に「門」の字が刻まれており、埋葬室への羨道入口を示したものとみられる。