
朝鮮王朝
高敞茂長県官衙と邑城
全羅北道高敞郡茂長面茂長邑城길45
地図で見る場所紹介
茂長邑城は1417年に茂長鎮の兵馬使に行政機能を付与し、兵馬使の金盧が築いた全長約1.2㎞の平地城である。邑城の南門・鎮武楼は正面3間・側面2間の2階建て建物であり、東門跡もよく残っている。城周囲の濠・海子は幅4m・長さ574m程度で痕跡のみが残る。城内の建物には客舎・東軒がある。記録によれば城の周囲は1,470尺(約441m)・高さ7尺(約2m)であり、濠の周囲は2,127尺(約638m)で門は2つあり、城の規模を拡大する必要があると記されている。土城と思われていたこの城が工事時に城壁東端の断面が現れ、一部が土と石を混ぜて築造されたことが明らかになった。1915年に発見された記録によれば、朝鮮太宗17年(1417年)に兵馬使・金低来が各村の住民と僧侶など20,000余名を動員し、その年の2月から5月まで丸4ヶ月かけて築造したとある。また1894年に起こった東学農民革命はこの茂長邑城で最初に蜂起した歴史の現場でもある。朝鮮時代の旧邑城の姿を研究・検討する上で重要な資料となっている。