朝鮮王朝
南原邑城
全羅北道南原市東忠洞
地図で見る場所紹介
邑城とは、郡や縣の住民を守り、軍事的・行政的機能を合わせ持つ城のことをいう。新羅の神文王(在位681〜692年)の時代、地方行政区域の改編に伴い南原地域に小京(地方都市)が置かれ、691年に四角形の平地邑城が築かれた。1597年には倭軍の侵入に備えて城を大きく改修・補強し、城壁を高くした。同年8月には朝・明連合軍と倭軍の戦闘が起こり、連合軍は大敗を喫した。この戦闘で戦死した軍人と住民の墓が万人塚(万人義塚)である。1894年の東学農民戦争で多くが崩れ、わずかな城址の姿しか残っていない。石堤の長さは2.4㎞を超え、高さ約4mで、城内には70余りの井戸があった。城内には南北と東西に直線大路が交差し、その間も幅の狭い直線道路が交差して碁盤目状の道路構成が見られた。近代に都市が入ってきて城郭はほとんど崩されたが、市内中心部の道路は今も碁盤目状となっており、往時の城内の街路構成の痕跡をとどめている。