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歴史探訪
秋水慶将軍墓域
朝鮮王朝

秋水慶将軍墓域

全羅北道完州郡鳳東邑秋洞안길14-7

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場所紹介

秋水慶将軍は明の神宗の時代の人で、字は清霞、号は洗心堂である。明の貴州省城徳山下五縣郡七星洞で生まれ、幼少のころから才芸に優れ文武を兼備し、16歳で文科に及第、宣祖24年(1591年)に明の武岡知事となった。1592年の壬辰倭乱の際、明の神宗に請願して李如松の援軍を出兵させ、自らも危機に瀕した朝鮮を救うために総兵亜将として五人の息子と軍士5,000人を率いて朝鮮に入り参戦した。1593年2月の郭山大捷を皮切りに、平壌城奪還・開城・漢陽の奪還作戦に参加するなど赫々たる功を挙げた。1597年の丁酉再乱では南原の戦いに参戦し、全州の戦いで重傷を負いながらも全州史庫を最後まで守り抜いた。明軍の帰国の際に祖先の国に残ることを決め、戦いに加わった5人の息子とともに完州郡鳳東邑秋洞に留まり、余生を終えた。秋洞という村の名も秋水慶将軍に由来する。朝廷は功績を認め、没後に忠壮公の諡号を授け、扈聖功臣・完山府院君に封じた。墓前の碑は1973年に新たに建てられたが、元の碑は日本統治時代に破壊されたという。奉養齋は取り壊され、今は礎石と正門だけが残る。2004年11月に子孫たちの努力で現在の姿に復元され、完州郡が神道碑と祠堂・奉養祠を建立した。