
朝鮮王朝
泗濱書院
慶尚北道 安東市 임하면 천전광산길 53
地図で見る場所紹介
泗濱書院は、朝鮮時代の学者・靑溪金璡と彼の五人の息子を称え、後学を育成するために建てられた書院である。金璡(1500~1580)は朝鮮中期の儒者で、幼い頃から才能に優れ、名高い儒学者を訪ねて教えを受け、見聞を広めた。中宗20年(1525)に生員試に合格した後、生涯を学問に専念し、後輩の育成に力を注いだ。先生の没後、国は吏曹判書の職を追贈した。金璡の五人の息子・金克一、金守一、金明一、金誠一、金復一はいずれも科挙に合格し、子孫が代々栄えたことで、義城金氏は安東地域を代表する名門士族となった。泗濱書院は粛宗11年(1685)に金璡と五人の息子の位牌を祀る祠堂・景德祠として始まり、粛宗35年(1709)に書院へ昇格した。高宗5年(1868)に書院撤廃令で取り壊されたが、高宗19年(1882)に臨河面沙宜里に集会の場として使える講堂と祭祀準備のための廚舍だけを再建した。その後、臨河ダムの建設に伴い1987年に臨河里へ移されたものを、2005年に重創事業計画に従って現在地へ移築し、複数の建物を復元した。泗濱書院の中には、講堂の興敎堂と廚舍のほか、祠堂の景德祠、寄宿舎の東斎・西斎、門楼、典祀廳などの建物がある。講堂と廚舍の建物は安東地方の士林の建築様式に従う伝統的な瓦葺きの家で、その姿をよく保存している。書院では毎年3月と9月に祭祀を行っている。