朝鮮王朝
知善堂
全羅北道鎭安郡東向面内금2길70
地図で見る場所紹介
至善堂は潘南朴氏門中の斎閣であり書堂である。朝鮮中期の朴之英の志を継ぎ、その子孫たちが建立した。朴之英の祖先はもともと錦山に住んでいたが、壬辰倭乱(1592)の際に難を避けて内錦村に移り住み、子孫の教育に力を注いだことから、この地方に子孫が居住するようになった。至善堂は入銅の郷祖である之英の志を称え、門中の子弟とこの地方の後学を教育するために之英の子孫が創建したが、その創建年代は定かではない。ただし堂内に掲げられている朴相卓の至善堂記が崇禎三壬辰に記されたことから、1772年(英祖48)に建立されたのではないかと推定される。至善堂からは1816年(純祖16)に文科に及第した後、司諫・同副承旨・右左承旨を経て工曹参判に至った丁載榮、および1840年(憲宗6)に進士試に合格した朴齊大をはじめ5名の進士が輩出されたというが、残る4名の進士の氏名は確認できない。正面4間、側面2間の瓦葺き八作屋根の建物であり、堂内には至善堂記(朴相卓記)、僉宗序(朴東后記)、芳名録などの扁額が掲げられている。