
ソウル献陵(太宗・元敬王后)と仁陵(純祖・純元皇后)【ユネスコ世界遺産】
ソウル特別市 瑞草区 헌인릉길 34 (내곡동)
地図で見る場所紹介
献陵(ホンヌン)は朝鮮第3代太宗(在位1400~1418)と元敬王后閔氏(1365~1420)の陵である。一つの曲墻の中に封墳を並べて配置した双陵の形式で、陵を正面から見て左(西側)が太宗、右(東側)が元敬王后の陵である。1420年(世宗2)に元敬王后が先に世を去り、現在の場所に陵が造営された。王后の陵を造る際、太宗は自らの陵の場所をあらかじめ用意した。2年後の1422年(世宗4)に太宗が世を去ると、元敬王后の陵の西側に陵を造営し、現在の姿となった。陵の封墳はいずれも屏風石と欄干石をめぐらせ、屏風石には十二支神像および霊杵(金剛杵)・霊鐸(金剛鈴)などを刻んでいる。封墳の周囲には文石人・武石人・石馬・正中石・長明灯・石床(魂遊石)・望柱石・石羊・石虎を配置した。特に文石人・武石人・石馬・石羊・石虎などは他の王陵に比べて二倍多く配置されており、これは高麗の恭愍王と魯国公主の玄・正陵の制度に倣ったものである。陵の下の神道碑閣には二基の神道碑があり、太宗の没後に建てた神道碑と、1695年(粛宗21)に元の神道碑が損傷したため再建した神道碑がある。仁陵(インヌン)は朝鮮第23代純祖(在位1800~1834)と純元皇后金氏(1789~1857)の陵である。仁陵は一つの封墳の中に王と王妃を共に安置した合葬陵の形式で、右上左下の原則に従い、正面から見て左に純祖、右に純元皇后を安置している。1834年(純祖34)に純祖が世を去ると、翌年、坡州交河の長陵(仁祖)の近くに造営された。しかし風水上不吉であるとして、1856年(哲宗6)に現在の場所へ移された。移された仁陵の場所はもともと世宗の旧英陵があった所で、仁陵の工事の際、周辺の土に埋もれていた世宗の旧英陵の石物と、中宗の二番目の王妃章敬王后の旧禧陵の石物を再び掘り出し、整えて使用した。再使用した石物は文石人・武石人・石馬・長明灯・石床(魂遊石)・望柱石・石羊・石虎であり、一部の石羊・望柱石・石馬は新たに製作した。これは仁陵を移した後に編纂された『仁陵遷奉山陵都監儀軌』に記録されている。仁陵を移した翌年、純元皇后が世を去り仁陵に合葬された。陵の下の碑閣内には二基の表石があり、一碑は朝鮮時代に建てた表石(純祖大王・純元王后)、二碑は大韓帝国期に建てた表石(純祖粛皇帝・純元粛皇后)である。