朝鮮王朝사찰
柳川書院(扶安)
全北特別自治道扶安郡保安面永田街89-38
地図で見る場所紹介
柳川書院は全羅北道扶安郡保安面楹田里にある、朝鮮後期に建立された書院である。1711年(粛宗37)に建立して許震童を配享し、翌年に金澤三を祀った。1768年(英祖44)には金鋐と金鳴の兄弟を追配した。1865年(高宗2)の全国的な書院撤廃令によって毀撤され、遺墟碑と跡地だけが残っていたものを、1999年10月に子孫たちが復元した。外三門と祠堂の建物1棟として復元されている。祠堂は正面3間・側面2間の重軒の切妻屋根の建物である。外三門の中央に「柳川書院」の扁額が掛けられている。駐車場から階段を上ると外三門が現れ、外三門前の東側に2000年に建てた柳川書院復設記績碑が建っており、記績碑の東側前方に旧書院建物の礎石および石材などが残っている。管理者によると、本来の書院の敷地は、南北は村の会館から書院へ上がる道に入って左手に伸びる道の上側から復元された書院の場所まで、東西は書院へ上る道の左右、現在家々が建つ領域を含めて復元された書院の東側の畑までであったという。駐車場の場所に本来は管理舎があり、今、礎石がある付近が本来の書院の場所であった。書院の後ろには竹林が鬱蒼としていた。新たに復元する際、管理舎を今の場所〔書院の西側〕へ移してその場所に駐車場を造り、書院は後方へ上げて建てた。