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歴史探訪
階伯将軍遺跡地
三国時代

階伯将軍遺跡地

忠清南道論山市夫赤面忠谷路311-54

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場所紹介

百済末期に成忠・興首とともに百済の三忠臣に数えられる階伯の遺跡地で、最後の決戦場である黄山伐に近い場所にある。1966年の発見当時、封土が半分以上崩れて内壙が露出し壙壁も一部損傷した状態だったが、夫赤面の住民が支石を据え内壙の灰壁を完封したのち、封墳周囲47.6m・直径15.15m・高さ6.5mに復墓した。1976年5月19日に封土を整備し碑石を建て、碑石には「傳百濟階伯將軍之墓」と刻まれた。階伯(?〜660)は百済の将軍。554年の管山城の戦いで聖王が戦死してから百済と新羅の関係は急速に悪化した。641年の義慈王即位後、百済は高句麗と連携して新羅を繰り返し攻撃したが、孤立した新羅が唐と協力して高句麗と百済を標的にしたことで状況は一変した。義慈王の失政による国内混乱と高句麗の淵蓋蘇文の政変等で同盟が弱体化する中、百済の危機は現実化した。660年(義慈王20)、蘇定方・金庾信の羅唐連合軍が百済要所の炭峴・白江に攻め入ると、義慈王は階伯に5,000の決死隊を与えて阻止させた。1対100の劣勢の中4度勝利したが最終的に大敗し階伯は戦死、この黄山伐の戦いで百済は悲運の滅亡を迎えた。