
朝鮮王朝
鄭起龍将軍遺跡地(忠毅祠)
慶尚北道 尚州市 사벌국면 충의로 230
地図で見る場所紹介
忠毅祠は、朝鮮宣祖の時代の武将で、壬辰倭乱の際に陸戦の名将として大きな功を立てた鄭起龍将軍の位牌を祀った場所である。鄭起龍将軍は1562年(明宗17年)に慶南河東郡金南面で生まれ、20歳のときに尚州へ推挙され、25歳で武科に及第して王命により起龍と改名した。壬辰倭乱が起こると、少ない兵で大小60回余りの戦いで多くの倭兵を退け、尚州判官であった当時、激戦の末に尚州城を奪還した。その後、慶尚右道兵馬節度使、慶尚道防禦使、三道統制使兼慶尚右道水軍節度使を務めた後に病没した。諡号は忠毅(忠毅)である。神道碑、将軍の墓とともに1974年に地方文化財記念物に指定され、1978年の護国遺跡浄化事業により、当初16.5㎡ほどの祠堂を約13,223㎡の敷地に、祠堂・展示館・管理事務所などとして拡張整備した護国思想の聖地である。展示館には宝物号5点(教書2点、教旨、信牌、玉帯各1点)と動産文化財(教旨19点、梅軒実記板木58板)を展示している。また毎年10月頃に地域住民が壬辰倭乱当時の尚州城奪還の場面を再現し、将軍の護国思想を広報・継承している。