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歴史探訪
帰政寺(南原)
朝鮮王朝

帰政寺(南原)

全羅北道南원市山洞面大상2길246

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場所紹介

亀淨寺は百済の武寧王15年(515年)に賢悟国師が創建した寺院で、もとは万行寺(マンヘンサ)と呼ばれていた。その後、百済の王が寺に参拝に訪れ、高僧の説法に感嘆して3日間寺に滞在し国政を執って帰ったことから、亀淨寺(クィジョンサ)と改称された。王は「死ぬも生きるも僧とともにする」という言葉を残したという。1221年、帯方(南原の古名)太守の卜章漢の要請により、亀淨寺で第二の白蓮結社が開かれた。高麗の穆宗5年(1002年)に大隠師が大きく重創し、朝鮮の世祖14年(1468年)には洛隠師がそれぞれ二度にわたり大きく重創したが、壬辰倭乱と丁酉再乱によってすべて焼失した。顕宗5年(1664年)に雪霽大師が比較的旧来の姿のまま修復し、純祖4年(1804年)に玄一大師が再び補修したが、わが民族の悲劇である朝鮮戦争のさなかに古い建物がすべて全焼するという痛みを経験した。かつての亀淨寺には法堂、正楼、満月堂、僧堂、蓮華堂、三光殿、文殊殿、明月堂、十王殿、香炉殿、影堂の堂宇があり、付属の庵として南庵、上庵、大隠庵、洛隠庵などがあった。日帝強占期には亀淨寺に住んでいた僧たちが皆離散したため、満空師が大法堂に祀られていた三尊仏像を忠清道の修徳寺大雄殿へ移し、今もそこに安置されている。1968年、劉正東師が普光殿、僧堂、寮舎を復元した。2006年からは新しい大乗仏教運動であるインドラ網生命共同体の活動拠点となり、重創仏事が始まって普光殿の改築、万行堂、観音殿、山神閣、鐘閣などが新たに建立され、インドラ網修練院、万行山帰農学校、森の暮らし院、社会連帯憩いの場インドラ網などが運営されている。