
朝鮮王朝
水多寺(亀尾)
慶尚北道亀尾市武乙面水多寺길183
地図で見る場所紹介
烟嶽山に位置する水多寺は、高麗時代の華厳宗団の寺院から始まった寺院と推測される。烟嶽山の頂上である彌峰に白い蓮の花が一輪咲いているのを見て蓮花寺と名付けたことに由来する。1185年に覚元大師が重建しながら寺の名を成庵寺に変え、1572年に惟政が重建した後に水多寺に変えた。1592年に壬辰倭乱が起こると、一万余名の僧兵がここに集まって護国の法会を開いたりもした。1704年には寺院が焼失し、大雄殿、十王殿、極楽堂などだけが残存した。しかし、華翁から始まって海裕、学誼に至るまで法孫が住持した寺院だという。学誼は長年春秋水陸之寶を設置し、孝寧大君の支援も受けた。現存する建物としては大雄殿と冥府殿、山神閣、寮舎などがある。このうち大雄殿は正面3間、側面3間の切妻屋根の建物で、内部に木造阿弥陀仏坐像がある。この仏像は1185年に覚元が造成した三尊仏の一つである。水多寺冥府殿は正面3間、側面2間の切妻屋根の建物である。1979年12月18日に慶尚北道有形文化遺産第139号に指定された後、1982年と1992年の二度にわたり改修された。遺物としては、朝鮮後期の釈迦牟尼後仏幀画である霊山会上図と、1772年に作られた銅鐘、三層石塔などが伝わる。