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歴史探訪
栄州順興魚宿墓(壁画墳)
三国時代

栄州順興魚宿墓(壁画墳)

慶尚北道栄州市順興面太長里

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場所紹介

飛鳳山の西南南斜面に位置する新羅の壁画墳で、1971年に梨花女子大学校博物館が調査した。円形の封土墳で直径16m、損傷が激しく高さは確認できない。封土下部には自然石を利用した囲石が廻らされている。内部は玄室と羨道を持つ横穴式石室墓である。玄室の4面の壁と天井には石灰が塗られ壁画が描かれており、床には広い棺台が設けられている。壁画は自然の湿気などで大部分が破壊されており、羨道天井と石扉にのみ残っている。天井には大型の蓮花文1個が描かれており、赤一色で描かれている点が特徴的である。石扉外側の図は「人物像」とみられるが形体を判別できず、内側には「乙卯年魚宿知述干」という銘文が刻まれている。乙卯年は蓮花文の様式から法興王の仏教公認後である6世紀末の真平王17年(595年)と推定され、魚宿という名はゴグリョ系、述干は新羅の官職名であり、6世紀頃この地方が高句麗と新羅の境界地域であったことを示す。順興壁画墳とともに新羅領域で発見された壁画墳であり、かつ名前が伝わる新羅唯一の墳墓として重要な資料となっている。