近代(開港・大韓帝国)
七淵義塚
全北特別自治道茂朱郡安城面七淵路 608
地図で見る場所紹介
七淵義塚は、茂朱郡の徳裕山・通安村の隠盤台から0.1km地点の渓谷左側にある、旧韓末に戦死した申明善義兵部隊の遺骸を合葬した墓である。1907年、日本の強圧によって丁未七条約が締結され、我が軍隊が解散させられると、日本の侵略に憤りを抑えきれなかった侍衛歩兵たちは全国に散らばって抗争を繰り広げた。この時、侍衛隊出身の申明善が徳裕山を拠点に義兵を募集し、茂朱・長水・淳昌・龍潭・居昌などの地で日本軍と戦いながら数多くの功を立てた。申明善部隊は初めの挙義の時にはわずか40余名に過ぎなかったが、次第に勢力が増して150余名の義兵が結集した部隊となった。申明善部隊は1908年4月、日本軍を15名射殺・20名負傷させる戦果を収めた長水での激戦の後、七淵渓谷の松亭で休んでいたところ、潜伏していた日本軍の奇襲を受け、150余名の全隊員が壮烈な最期を遂げた。